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- 向野村(近世)とは
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向野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
向野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
向野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
向野村(近世) 江戸期~明治9年の村名玉名郡のうち玉名平野西部,菜切川の支流宮崎川上流の東の平地と丘陵に位置する江戸末期までに折地村から分村して成立したと思われる熊本藩領村高は「旧高旧領」346石余「肥後国誌」では荒尾手永に属し,高345石余で,光鎮寺跡がある文政7年の荒尾手永手鑑(山本家文書)によれば,家数55・人数240,商札4,質屋1,馬30幕末の荒尾手永手鑑(関家文書)によると,高345石余,反別34町9反余氏神は天正5年勧請という向野神社(七社宮)熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年宮野村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
向野村(近世) 江戸期~明治5年の村名加賀国能美【のみ】郡のうち梯【かけはし】川下流左岸に位置する村名の由来は,小松町から見て川の向い(西側)に位置したことによる加賀藩領小松町の大文字町の住民が出作りした寛文10年村御印の村高422石,免3ツ9歩飛地の向野柴山分の村高30石,免4ツ3代藩主前田利常の小松城在城のころは,煙硝蔵・材木蔵・塩蔵があった明治5年石川県に所属し,向野地方と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」